沖縄空手に関する情報を
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沖縄空手の歴史
空手発祥の起源についてはさまざまな説がありますが、琉球古来の武術「手(ティー)」が周辺諸国との交流を深める中で体系化されたものがそのルーツであると考えられています。「手」には、琉球王国時代からとされる「首里手(シュイディー)」、「那覇手(ナーファディー)」、「泊手(トゥマイディー)」があります。「首里手」は首里王城のお膝元の士(サムレー)階層が受け継いできたとされる武術で、上級士から下級士までが切磋琢磨して作り上げてきました。また、「那覇手」は王国の港である那覇港を擁する地で、「泊手」は古くは王国の主要な港である泊港を擁する泊の地で継承された「手」です。また、上地完文を開祖とする「上地流」は、福州で修行した完文が、帰国後に和歌山で指導を始めたことを皮切りにその子息の完英を含む多くの門弟を育成し、現在に至っています。
沖縄空手の拠点「沖縄空手会館」
平成29年3月には、「空手発祥の地・沖縄」を世界に発信し、沖縄空手を伝統文化として保存・継承・発展するための拠点施設として、「沖縄空手会館」がオープンしました。約4ヘクタールの敷地内には、4面の競技コートを有する「道場施設」、沖縄空手に関する理解を深めるための「展示施設」、沖縄の伝統文化を象徴する赤瓦屋根を用いた「特別道場」が整備され、「沖縄空手国際大会」や沖縄空手セミナー等が開催されるなど、世界中の空手愛好家の交流の場となっています。
世界への広がり
琉球王国時代にその基礎が築かれた「手」は、明治以降、糸洲安恒やその弟子であった花城長茂、屋部憲通らの手により、学校教育に取り入れられたことにより、広く一般に普及するようになりました。1922年には、船越(富名腰)義珍が第1回運動体育展覧会で空手を紹介するため上京。船越(富名腰)はそのまま東京で居を構え、大学を中心に空手の普及に全精力を傾けます。また、関西では、摩文仁賢和、宮城長順などが空手の普及に尽力。船越(富名腰)の指導した空手は松濤館流として、摩文仁系統は糸東流として花開き世界に広がっています。現在では、空手は、2020年東京オリンピックの正式種目に採用されるなど、国内外に1億3千万人の愛好家を有するまでに発展しています。
平和を希求する空手の精神
「空手に先手なし」、「人に打たれず、人打たず、事なきをもととするなり」、沖縄空手の先人達が残したこれらの金言には、礼節を尊び平和を希求する空手の精神が表されています。厳しい鍛錬をとおして身体を鍛えるとともに、守礼の心を学ぶことこそが、世界中の空手愛好家が空手に魅了される理由なのです。